1996年の今頃・・・。
丁度20年前、私は元気盛りの30代前半で疲れ知らず・・・。茨城県は水戸から千葉県八千代市にある「思い出の印旛新川へ」通っていた。
第2次橋本内閣1996年11月7日、社会党・新党さきがけが閣外協力に転じて、3年ぶりの自民党単独内閣となった(なったと言っても閣外協力なので連立の枠組みはあったかも)。第2次橋本内閣が発足した年。(ちなみに自民党は角栄さん以降は、今も昔も嫌いですが)
アムラー(安室奈美恵のファッションをまねた人)とか援助交際(主に未成年の女性が、大人の男性と交際して肉体関係を許し金品をもらうこと)とかオヤジ狩り(高校生らが誘い合って、千鳥足で帰宅する中年男たちを襲って金品を奪うこと)等が流行った年。
印旛新川の、確かゆらゆら橋?
この周辺での釣りが好きで、通っていました。この日(釣行+撮影)は1996年(平成8年)の12月上旬で、丁度今から20年前の今頃です。
遅い夜明けから竿を出し、16〜18尺にて底釣り。釣果は最大尺3寸あるか無い位の型を頭に、放流べらがメインの8枚・・・。バラケ&グルテンの釣りでした。同行の菊さん(後の巨べら愛好会の会長)は残念ながら、確か1枚かオデコそんな感じで、厳しい釣りでした。
釣り仲間の菊さん(左手前)
思えば4時には暗くなるし、まして日帰り釣行なので、忙しい一日でした。40p上が釣れなかったので画像は無しでした・・・。
私の印旛新川釣行は、1980年代後半からと記憶しているものの、写真が無かったりと正式な記録が無い。平日の釣行で、週刊ヘラニュースの取材で、たまたま居合わせた私の画像や記事が掲載されて大切にとっておいたが、とっておいたつもりで・・・紛失。
当時、転勤が多く2年に1回それ以上が住所変更及び引っ越し・・・。その度に思い出の品が消える感じでした。この頃、本気で『新川慕情へらフィッシングクラブ』に入ろうと考えていました。八千代市に土地を買おうと思うぐらいに新川が好きで、随分と通いました。
確か、発足9年目位の新川慕情(現時点で発足31年?)は野釣りの会としては、圧倒的多数で60〜70名近い会員がいたと記憶。鎌○さんや近○さんや小○寺さん根○さんという、当時では恐れ多くて口をきけないぐらいの?現地の有名人の方にもお声を掛けていただいた記憶が・・・。
そうは言っても、当時乗っ込み期以外で尺半は滅多に釣れないものの、通年42p〜36p級は良いときで毎回3枚〜8枚前後は釣っていましたので、ポイント・仕掛け他、アドバイスいただいた地元の方には申し訳ないのですが、1回の釣行での総数・サイズはそこそこ釣ってました。(たまには自慢させて下さい)
1989〜1993年は、ここではほとんど誰もやっていない(見たことが無い)18尺で両グルテンの宙(流れがあるのに1本半〜2本程度)であったり、柔らかめデカダンゴの宙や、オルナミンCやリポビタンDを水代わりに使用したグルテンマッシュAを使うなど、ハチャメチャな釣りでエサはバンバン打っていたと思います。味の素や乾燥ニンニクを混ぜたり、流行を過ぎた4倍スコープでウキを眺めたり、掟破りのナイターと、スレ取りや撒き餌や3本鈎以外は何でもありだった気がします。(今は四季を問わずに徳用マッシュメインの一本槍です)
そんなことがあって、そして、それだから好きだったと思います。
平成10年発足(1998年)の巨べら会での試釣も、そして本番の例会も2枚長寸で85.0poverでぶっちぎりで優勝と、とにかく相性の良い釣り場でした。
思えばそれでもその後最大は45.0p程度(印旛新川での実績)しか釣っていません・・・。いずれもう一度竿を出したい釣り場です。
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