巨べら釣りを楽しむブログ
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◆巨べら狙い◆ big51の釣れない釣行記

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◆巨べら狙い◆ big51の釣れない釣行記

2015.04.04.09:50 撮影

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巨べらの超マイナーな茨城県で、「自己満足」の巨べらを楽しんでます。

釣れない釣りも釣りのうち(笑) 

 『夢の50cm神』はいつ・・・?


2016年11月15日

本ブログについて【3】

−所詮は遊び そして自己満足−

 当ブログについて(1)〜(2)と長々と駄文を並べました。
どんなへら師がこのブログを運営しているのか、これまでの流れを恥ずかしながら一部を公開させていただきました。古い写真からと言うことで、綺麗なものではありませんが、整理が付き次第今後も随時画像などupします。

 巨べら釣りと言っても、所詮は遊びであり道楽です。何より自己満足の世界。
一方、ここ15年でへら師の人口は随分と減ったと聞きます。ヘラブナ釣り場も少ない上、なかなか釣れないし、何より道具も高いですし若者が新たに参入しづらい環境です。
 言うまでもありませんが、かなり高齢化も進んでおり、個人的には釣り場で知り合った先輩方も他界されており、そういうのを含め業界は大きく衰退しているようにも思えます。
私ごときが心配することではありませんが、業界の衰退はへら鮒釣りファンの一大事です。

 自己満足の中にも多少なりとも「へら鮒釣り」の醍醐味・面白さを皆様にお伝えできたら幸いです。これも自己満足なのですが・・・。

 最近は、野釣りオンリーでしかも巨べら釣り場が圧倒的に多いため、多くの一般へら師とは縁遠く、自分自身「へらぶな関連の専門誌」も見なくなりました。よって意味不明や思いこみの記述も多々あるかと思います。そしてこのブログはあくまでも、私個人の勝手な「ひとりごと」の位置づけ、及び釣行記と言うことで多くの記事が「です・ます」調での記入・書き込みではありません。他、ちょっと辛口トーク?も多々御座います。お見苦しい点は予めご了承下さい。

どうぞよろしくお願い申し上げます。


 最後に「巨べら」ではありませんが、霞ヶ浦水系の「超」美べらををご覧下さい。こちらは恋瀬川のへらです。以前は本湖でもこのタイプが何枚か出ました。


2011_0304釣り 恋瀬川0003.jpg
40pに少し足りませんが、こんなへら鮒も楽しみの一つです。

 私の玉網は、尺4寸玉(自作)に巨べら用の「超大型」網を張ってますので、尺3寸級以下ですと小べらにしか見えません(笑)
 尺半上が出なくても、このようなへら鮒が釣れたときは気分がよいものです。まるで作り物のような美しい魚体、フラシには入れず「そぉ〜っと」放しました。


posted by big51 at 18:02| Comment(2) | はじめに・・・

本ブログについて【2】

−巨べら釣り場に遭遇−

 9年間異業種【航空自衛隊→ファッション業界】で働き、その後父の営む零細企業に・・・。日曜・祝祭日の休みとなり、何処へ行っても混んでいて、まるで魚が居ないのかのような状態。時たま出かけていた管理釣り場からは卒業です(笑) 

 卒業と言えば格好良いのですが、腕はもちろん大した経験も無く、師匠や多くの仲間が居たわけでもなく、管理釣り場からは自然と離れました。(小貝川吉野・友部湯崎湖・千葉の清遊湖など)

 「巨べら」との出会いは、1980年後半〜90年代前半のこと、松戸駅ビル及び亀戸駅ビル内に勤務していた時代。
 当時、印旛新川にて42.0p・亀山湖にて42.0p・北方の中沼にて41.0pと、尺半の壁は遠く高く40p上ならそれで満足していました。

 その頃のへら鮒関連の書籍(専門誌)は、月刊ヘラ・へら鮒・へら専科などで、毎月3冊全て購読するほかに、週間へらニュースは毎週欠かさず・・・という熱の入れようでしたが、知識と情報だけでは真の巨べらは釣れません。西湖や山中湖にも遠征し、釣れないとなれば相模湖にまで繰り出しましたが、簡単に釣れないのが巨べらであり、私の巨べら記録は恥ずかしながら、水戸に来るまで「42.0pがMAX」でした。

 思い起こせば今から約23年ほど前(1993年頃)はバブルの崩壊直後でした。非自民・非共産連立政権の細川内閣の発足と、結党以来38年間政権を維持し続けた、自民党が初めて野党に転落した時代のこと、地元水戸・千波湖で初めて巨べらのハタキに遭遇しました。(平成6年4月)

千波湖-ハタキ.jpg
画像は1997年頃の千波湖(ガマやマコモが点在していました)

 忘れもしない1994年4月9日(土)、現時点(2016年11月)で約22年ほど前のこと、午後から仕事を終えて初の千波湖釣行。時間帯は15時30分過ぎ。ずいぶん前から噂には聞いていましたが、印旛新川遠征などでオデコ続きの巣離れ〜乗っ込み期の釣り、憂さ晴らしに職場から5分とかからない水戸・千波湖北岸へ。 
 16時からスタートし、竿9尺にて1本強の底釣りで挑戦。17時頃にはコイの「入れパク」に仕掛けは3本・浮子1本を失い、ハリス切れは多数・・・。納竿時、地元へら師からアベレージで40.0p・最大47.0p迄は狙える旨の情報を得て帰宅しました。
結局本命は釣れませんでした。

 翌日4月10日(日)、取手から遠征してくる友人のT君と5時過ぎから6時間・・・。
思ったとおり「ハタキ」に入っていて、朝から昼まで見たこともない尺半(45.0p)級が乱舞していました。過去に見てきたハタキとは異色に感じ、これが巨べらのハタキかと興奮しました。しかし、結果は41.0pのスレのみ・・・。

 翌週4月16日(土)、仕事前に竿を出そうと5時過ぎに再び千波湖へ。今日もハタキ中だ!浅瀬のハタキ場では釣れる気がせず、何故か18尺を継いで沖狙い。しかもセット釣りという今では考えられない釣り方。

 午前6時からエサ打ちして、釣れたのが8時になってから。2時間も食いアタリがなく焦りだした時でした。本湖初の40p上が釣れたのち、遂に44.5pの自己最高記録! 舞い上がったのは言うまでもありません(笑)
 3枚釣って全て40p上、仕事のため午前9時には後ろ髪を引かれながら納竿。

 翌日の17日(日)は41.0p頭に40.0p上3枚+38p+35pで合計5枚。尺半上は出ませんでしたが、忘れられない貴重な想い出です。


千波湖-40.jpg
千波湖のへら鮒(スーツ姿は翌日18日の昼休みに)
※clickで拡大できます

ここのへら鮒は、全てではありませんがスタイル抜群であり、これぞへら! という印象です。一度もハリ掛かりしたことの無いような綺麗な魚体であり、巨べらならではのこの感じが最高です。

千波湖-44.5.jpg
こちらは、あらためて見ると、ちょっと長手のへら(^^ゞ


−巨べらに夢中−


 と言うことで、この平成6年(1994年)がきっかけとなり、尺級のへら鮒には興味が無くなり、同時に数釣りと言うスタイルから一発大型志向となったわけです。

 2006年頃までは48p級筆頭に、釣れれば平均して43p前後の巨べら釣り場として知る人ぞ知る?乗っ込み期限定の釣り場でした。(現時点で51pまで現認済み)

 現在(2016年)は、水質悪化+護岸工事や湖面の半分が釣り禁止になったりと、環境含めて乗っ込み期にも釣れなくなりました。

 この後、茨城県内としては「北浦」「霞ヶ浦」「利根川本流」「飯田ダム」「上野沼」「那珂川」等で一発大型を狙って釣行し、県外では相模湖(天狗岩)や亀山湖(主に陸っぱり)、冬は北部手賀沼(湖上園オダ)にて楽しんでいた次第です。

 近年は、自宅から朝なら僅か3分〜4分の某所(巨べら実績多数)にて、出勤前と休日と朝の早い時間限定で楽しんでおります。

 上記釣り場は1996年頃に、私の知り合いが50pに2oほど足りない「超巨べら」を釣っています。今度は私の番だ!と意気込むも、あれから20年・・・。釣れたのは47.0p止まりでその47pもブログをはじめてから(2011年6月)やっと更新出来た状況です。

 完全な平場で、へらの放流もなく、新たな供給源も無く、へら師(地元のおじいさん以外)も殆ど来ないのんびりとした釣り場も、一時は釣れれば7割方が巨べらであり魅力はたっぷりです。残念ながら2016年の現時点では、尺〜尺2寸ばかりとなってしまいました。
 真夏と真冬以外は巨べらが狙えるので、今後もボチボチ楽しむことにしています。

当ブログについて(3)に続く

posted by big51 at 17:53| Comment(0) | はじめに・・・

2016年11月14日

本ブログについて

不定期更新の釣り日記(2016.11.14更新)

 本ブログは、私「big51」の不定期な釣り日記で御座います。
勝手な『ひとりごと的』釣行記であり、思いこみや根拠のない記述も御座いますので、「こんなへら師も居るんだな・・・」程度に読み流していただけると幸いです。

 1975年(昭和50年)頃が、初めてのへら鮒釣り体験。41年も前のことです。しかし、所詮は小学生、技術もへったくれも無く、当然まともな道具も無し・・・。
 実際に、社会人になってからが(道具もエサも自前で買い揃えられる)へら鮒釣りの本当の始まりだったと思います。2016年現在で30年程前の「1986年頃」だったと思います。

と言うことで、まずは私とへら鮒釣りから。

−ヘラブナ釣りとの出会い−

 自宅近くで遊びの範囲での釣り(雑魚釣り)を始めたのは、概ね小学校中学年のころです。当時「へら鮒」は、何処にでも生息していた魚ではありません。

 1974年〜75年頃、マブナなら何処にでもおり「みみず」を餌にして、川沿いの篠や竹(矢竹など)を利用し、宿題はさておき、学校から帰ったらまず「釣りをする」のが遊びでした。
 その頃、町内の3才年上の兄さん達が、近くの田んぼの小さな用水路に「大きな鮒」を10匹程入れていたのです。
いつも釣れる「マブナ」ではなく、当時としては明らかに異常な、そして見たことの無いその「かたち」に驚愕しました。

 思い起こせば、それが人生初めての「へら鮒」との出会いでした。当時マブナが20p級が殆どでしたが、その鮒は最低27p〜30pはあったと記憶していて、あまりにも大きく、その面積の広い魚体にショックを受けました。

−はじめてのへら鮒釣り−

 あの衝撃が忘れられず、翌年の春は「へらぶな」なる魚を何としてでも自分で釣りたく、徒歩でも10分で到着する、地元での通称『馬鹿ちょん池』へ道具を持って出かけました。

 それまで、涸沼川(近所の流れ川でへら鮒はおりませんでした)の淀みでマブナ釣りをしていたときとは一転して、いわゆる「ねり餌」というものに初挑戦。

 ふまつげんの「釣りキチ三平の餌」、マルキューの「青へら」が万能エサという感じで、説明通りに作りました。あの独特の香りは今でも忘れません。



釣りキチ三平のエサ.jpg

ふまつげん(平成13年3月に倒産) 釣りキチ三平のエサ


赤へら 青へら.jpg

青はサナギ粉入り万能エサでしたね(懐かしすぎます)

 竿は、万能竿で10尺位の安いもの(当然ですね)でした。
ブランコ付きのへらウキに、マブナ釣りではあり得ない「2本鈎」で、二又の赤い塗装がしてあるヨリモドシ。結局「マブナ」ばかりで、へら鮒なる魚を釣るには相当な時間(数十日以上)を要しました・・・。

−馬鹿ちょん池−

 誰が付けたか「馬鹿ちょん池」。地元では昭和35年〜40年生まれの人々は、誰もが知る釣り場でした。なんせ、名前の通り馬鹿でもちょんでも釣れると言う池でした(笑)

 当時のへら師が、北浦から運んだというのがもっぱらの噂でした。ちなみに現在は埋め立てられ、湿地になっています。

−中学〜高校時代−

 尺上(30p以上)などは滅多に釣ることが出来ず、6寸〜7寸がごく当たり前の時代でした。巨べらという印象が尺3寸〜と言うことで、当時35pを超えるへら鮒は恐ろしく大きく感じました。また、36p級を釣ったら近所に触れ回る程でした。

 そんな中、アルバイトで貯めたお小遣いで、グラスロットをついに購入。本格的にへら釣りを始める社会人になるまで愛用していました。通う釣り場は旧友部町にある通称「白鳥湖」でした。正式名称は弁天池、すぐ上には新池。今で言う「管理釣り場」がありました。

 新池生まれの小べらが落ちて、下の白鳥湖で自然に増えたようです。白鳥湖は、当時5m前後の水深があり、生活雑排水も流入して居らず、日本バラタナゴを含め豊富な魚種が生息していました。沼エビが溢れるほど生息し、貝類も随分見かけました。

 高校時代、学校をサボってまで釣りに行った白鳥湖。7寸〜8寸中心も午前中で20枚30枚は当たり前でした。ベテランのへら師は50枚以上釣っていたと記憶します。

−私のへら鮒釣り始動期−

 成人式を終え、翌年のとある夏の日。職場の同僚と先輩を引き連れ?懐かしい白鳥湖へ。当時はブルーギルが増え始め、確かブラックバス釣りのブームが一時的に過ぎ去った頃でした。釣り初心者には生き餌でギルやバスが簡単に釣れました。前年の
1985年、バス釣りのプロたちが大会に参加して賞金を稼ぐ「バスプロトーナメント」が始まります。釣具メーカーなどの企業が賞金・協賛金を出資しあちこちでイベントを展開。その後、派手な商業主義に乗って第二次ルアーフィッシングブームが巻き起こったのでした。

 私は一応へら狙い、他のメンバーはブルーギル狙いとアンバランスな釣行でしたが、へら鮒は2枚程度も、日中からアルコールも入って楽しい一日でした。

 思えば、その日に火が付いた(へら鮒釣り)のが始まりでした。

◆ついに本格カーボンロッドデビュー◆

 昭和60年頃のこと(2016年現在で約30年前)良くも悪くもターニングポイントでした。職場にて管理職候補の試験があり、幸運にも当時その店舗(年商3.5億円)の責任者に抜擢されました。

 しかし、営業成績・実績も積み重ねては居ましたが、所詮はやっぱり若造。重圧を含めて「ストレス」が溜まる一方。職業柄、ブランドもの?の洋服を何十着も買い、ローンは笑えないほど・・・。毎月15万円〜の支払いで、安いお店で呑む以外何も趣味がありません。

 それでも、当時はそれなりの?報酬がありましたので、ボーナスをはたいて、ついにカーボンロッドなる竿を購入し始めました。これが本格的な始まりです(^^ゞ

征興ロッドが作っていた竿で、風切竿・水切竿(ふうせつかん・すいせつかん)とほぼ同等の上州屋オリジナル「風神竿」・「水神竿」に注目。

 好みの中硬調子である水神竿に決定。
色合いも好きでしたし、使用感も細身でありながら粘りが強い印象でした。21尺・18尺・16尺・15尺・14尺・13尺・12尺・11尺・10尺・9尺の10本を気前よく(笑)

 ほか、紋竹の竿掛けに玉の柄、尺玉にフラシ、釣り台やらへらバックと。更には、天然木の万力やウキ(浮子)数十本など含め、2〜3回に分けて総額は軽く100万円〜と、今ではとても考えられない大盤振舞い。バブル期絶好調の頃でしょうか・・・。
今後は宝くじでも当たらないと絶対に買えないでしょう(笑)

 実はその前に安い竿(エントリーモデル?・初心者用?)を、18尺・15尺・13尺・11尺と揃えていましたがこれで用無し。思えば「完全な無駄遣い」で安物買いの何とかでした。

◆本格的に開始・どっぷりと釣り三昧◆

 昭和63年、転勤で千葉県の松戸市へ・・・。
年商7億円のお店(なのに自身の年収は400万円以下)に転勤。
上司(茨城・千葉地区の統括責任者)はおりましたが、松戸店というお店の責任者は私・・・。何ともやりづらい(^^ゞ 
ストレス解消は、毎晩の居酒屋通いに加え、休日はやっぱり「へら鮒釣り」に。


 千葉に来たからには、と言うことでこの頃「亀山湖」・「印旛新川」と言う巨べら釣り場に出かける機会が増えました。その頃は結婚も控え、何と結納返しの一部は「へら竿」でした。(正直私の希望もありましたが)

 竿は、とにかく憧れであり当時発売間もなかった、シマノ「朱紋峰 先ぬけ」で、18尺・16尺・15尺・14尺・13尺の5本。割引が有っても「尺単価」が3,500〜4,000円前後しましたので、全76尺分は貧乏人には嬉しかったです(笑)

 へら竿は他に、シマノでは「朱紋峰ぬけさく」16尺・15尺の2本/「朱紋峰 競」8尺〜16尺で6本/「朱紋峰 攻」11尺〜17尺が4本/「朱紋峰 本造り」19尺/「朱紋峰 嵐水」15尺/「普天元」9尺/「飛天弓 閃光」21尺×3本で、ダイワでは「枯法師」13尺/「二天粋 月光」10尺/「二天粋 おぼろ」10尺〜12尺で3本/「伯天弓」12尺〜16尺で3本と朱紋峰 先ぬけシリーズ5本を合わせたら、とんでもない買い物をしてしまったのです・・・。のめり込むと恐ろしいですね。今後こんな買い物は絶対に出来ません(笑)

 8年間お世話になったその職場を退職し、その間は存分にへら鮒釣りを楽しみました。何と言っても土日や祝祭日は仕事柄休めず、定休日とローテーションによる個人の休日は100%平日なのです。何処へ行っても空いていましたし、そこそこは釣れました(笑)

 また、退職後1週間は亀山湖・三島湖・戸面原ダムにて慰労の釣り?を楽しみました。9月の頃でしたので大釣りも出来ず、大型も出ませんでしたが・・・。

以降は(2)に記載いたします。
posted by big51 at 19:17| Comment(0) | はじめに・・・