君津市の公式サイトなどでは「1971年(昭和46年)着工、1981年(昭和56年)3月完成」とされている。すでに37年前に完成していた・・・。ということは、完成後10年してからその地を訪れたということになる。
感慨深いです。(1991年初釣行)
ひょんなことから、私が亀山にて初めて竿を出した記録(日記)が出てきた・・・。
平成2年(1990年)に山中湖・河口湖・相模湖デビュー、そして平成3年7月24日(1991年)に印旛新川で初ナイターを経験後(43p1枚のみ)、その翌月8月4週目だった・・・。
・亀山湖、三島湖へ初の遠征!!
初日と二日目は亀山湖で竿を出した。松下ボートから舟を出して、通称竹薮下へ入って尺上の半ベラ(マブナとへらの中間に見える魚)を釣りまくった。純粋なヘラ鮒は6〜7枚程度釣れたが、いずれも尺二寸止まりで、待望の40pオーバーにはお目にかかれなかったのが残念だった。しかし、その引きはヘラ、半ベラ、マブナと全ての魚が想像を絶する強い引きをみせてくれ、0.8号のハリスではほとんど対応出来ない状況だった。釣り仲間の吉田君は40p級マブナの入れパクで、腕の筋肉が痛いとうれしい?悲鳴を上げていた。次の日は不調で35pクラス1枚のみ。
・三島湖初釣行
国民宿舎清和に宿泊して、三日間の釣りの旅も最終日となった。二日間遊び半分でまともに釣りをしていなかった妻が、ここで爆釣を演じた。なんと、フラシ2つ分釣ってしまい、女の細腕ではとても持ち上げることが出来ないぐらい釣った。50〜60枚は釣っただろう。この日を境に妻は三島湖ファンになってしまい、不調だった吉田君は「一昨日の強烈なマブナの引き」に、すぐさま亀山湖ファンになった。
思い起こせば、無意識のうちに『巨べら』を狙っていたのかもしれません。現時点(平成30年/2018年)で27年も前でした。そして山中湖・河口湖・相模湖は今から28年前の平成2年がデビューでした。
亀山湖に関しては、それ以来ほぼ毎年(2年か3年前に未挑戦の年が1回だけ)春もしくは夏に泊まりがけで竿を出すのが恒例でした。その間、夢は果たせておらず47pの壁を越えられずにおり、このまま夢を叶えることなく「亀山湖釣行は四半世紀」を迎えました。自身ではスレで51.2pを玉網に収めただけで、喰わせられたのは尺半がせいぜい・・・。何とも悲しい限りです。
約15年前、2003年の8月のこと、野村ボート店内で見た衝撃の50p上。
飾ってあった「阪神タイガースの帽子の巨べら師」Hさんの持つ巨べらを見て、正直唖然としました。これを釣りたい・・・。絶対に!
13尺で9尺のタナ?/3年2組でマッシュとか・・・。凄いですね。
ということで、今年も当然夢を追いに「亀山湖」へ行きたい。
昨年は、9月14日から3日間の遠征も、超大型台風18号の関東直撃で初日のみの釣り。ちなみにこの台風によって、特別警報が運用開始後初めて適用されたもよう。
同行者は私と羽さんと高橋君のいつもの3人組。20年来の釣り仲間「菊さん」は定年後別行動となり、遠征はもっぱらこの3人。台風恐怖症の高橋君とマイペースの羽さん。私は強行を申し出たが無言の却下。実際房総半島はかすった程度で、釣りは可能だった模様も、被害に遭われた方々にはお悔やみを申し上げたい。結果オーライだったかもしれない。
さて、釣りの方は水戸を24時に出て、取手経由で寝ずに亀山湖到着。残暑が残るこの時期、ポイントは午前中日陰に入る鳥居島にて。減水が進んでいて、良い感じも、もじりは少ない。バスボートが出始めると魚っ気は消え、アタリも無い。
早朝5時からの釣りも、一睡もせずに竿を出し動かないウキを見ているので、辛抱とか我慢の言葉が生易しい。おまけに暑いし、台風も気になるし・・・。
元気な時間帯の高橋君
3時間もエサ打ちすると全員ダレ気味。
突端の高橋君18尺、中央の私が16尺、奥の羽さんも16尺で全員マッシュベースの宙。19尺一杯の水深でタナは1本半〜4本まで探り、黙々と打つも「ジャミ」アタリしかない。羽さん以外は猛暑とノーアタリと睡魔で戦意喪失。昼寝を決め込む。
雰囲気は最高なのですが・・・
泡付けもあり、サワリもあり、何よりへらの気配もあるが、さすがに辛抱強いと自負する私も、遂に15時過ぎからは、運転の疲れ、眠気、動かないウキを10時間も見れば心が折れかかる。15時になると公園のベンチで熟睡。
そして2時間ほど仮眠して再開。
エサを作り直し、2本半のタナでアタリを待つも、寝付けなかったのでウイスキーをストレートで2杯以上飲んだので、酔いが覚めない・・・。
そんな中、17時30分を迎えいよいよマズメ時。相棒2人はその前に心が折れてギブアップ。日の入り前に納竿していたのでした。結果は、本人曰く当然のように『オデコ』でした。
やっと釣れた1枚(玉網は42.0p枠です)
17時40分過ぎから「ウキ」に変化が現れ始め、ついに「明確な」アタリを!
だが乗らない・・・。乗せられない・・・。
やがて頻繁に動くようになるも、それと同時に日も沈み薄暗くなる。で、エサはもう無い・・・。諦めるか・・・と、最後の1投。その時、なにやら後ろで人の気配。道具を仕舞った相棒二人ではない。
最後の1投で来たのがこの「小べら」の部類でした。
ここ亀山でこのサイズでは・・・
後ろのその人はなんと常連のM井さんでした・・・。
聞けば、後ろからもアタリがわかるほど明確なものでした。私は酔っていて、目も疲れていて、半ば心が折れかかっていたので微妙なアタリにも見えましたが、直前の見逃し含め明らかにへららしいウキの動きではあったと・・・。オデコを免れただけ良かったかもしれません。
翌日の雲の状態
宿泊先のホテル亀山城では、女将さんが明日の宿泊はキャンセル(無償にて)で良いですよ。との言葉を頂くも、後ろ髪を引かれる思いで翌朝早く帰路につきました。
冒頭の15年前に野村ボート店内で見た衝撃の50pのへら師、実は一昨年「偶然にも」私の秘密のホーム釣り場でお会いしました。(2012年7月23日の釣行期参照)
このほか、亀山湖でお会いしてから上野沼(茨城)でお会いしたへら師や、某インストラクターな方、千葉の北部手賀沼・印旛新川や、茨城なら笠間湖の話題含め、世の中は(巨べら釣りの世界)本当に狭いものです。今も昔も当然ですが、それだけヘラブナ釣りの世界、特に巨べら限定だとこのジャンルは『あまりにも狭い』のかも知れません。
そして、やっぱり毎年でも行きたい亀山湖。